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699件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2002-12-12 第155回国会 衆議院 憲法調査会 第4号

くどいですけれども、私は同和問題にかかわり続けてまいりましたので、福岡が生みました解放の父松本治一郎という人が、侵さず侵されずということを言っております。これは、命の限りない尊厳と平等なるがゆえに、侵さず侵されずということだと思うんですけれども、これは個人の社会関係においても国際関係においても同じことだ、アジアの隣人に対してももちろん同じことだというふうに心得ております。

林力

2001-11-29 第153回国会 衆議院 憲法調査会 第4号

その点について、かつて部落解放の父と言われた松本治一郎が、見事に、貴族あれば賤族ありと喝破した。それはまさに私は名言だと思うわけでございますが、このことは何を意味するかというと、賤民、賤族というものが存在するということは、その対極にとうといとされる人たちがいる、貴族ありということでございます。  

植田至紀

2001-06-20 第151回国会 衆議院 農林水産委員会 第21号

解放の父と言われました松本治一郎参議院議長が亡くなられたのは昭和四十一年でした。私自身昭和三十七年からその松本治一郎先生の書生を務めた者として、感無量の思いがありました。  今後の問題は、この法律をいかに実効ならしめるかが問われていくことになると思います。そのために、解放同盟都道府県連と自治体との折衝も始まっています。

楢崎欣弥

1997-05-26 第140回国会 衆議院 決算委員会第四分科会 第1号

これは、御存じのとおり、例の板付裁判で私の尊敬する松本治一郎先生が、期限が切れたから返還せよといって、松本先生土地だったのでございますが、返還要求裁判に出たのですね。だけれども、確かに期限は切れているんだけれども、これをもって直ちに返還要求をするということは公共の福祉から見て権利乱用であるということで、松本先生の方が負けたのですね。

坂上富男

1997-04-10 第140回国会 衆議院 日米安全保障条約の実施に伴う土地使用等に関する特別委員会 第5号

また、過去の判例によっても、これは一九五四年七月五日の判決なのですが、これは私どもの党の松本龍議員のおじいさんの松本治一郎さんが板付基地土地を持っておられまして、そこで、使用貸借期限が切れたので返せという裁判をされたのです。それで、一九五六年二月十三日の一審の福岡地裁では、これはもう使用期限が切れたのだから返すのは当たり前であるということで、松本治一郎さんを勝訴とした。

北村哲男

1994-11-08 第131回国会 参議院 法務委員会 第3号

そういうことの延長線上で、一九四六年、今の部落解放同盟の前身の組織が結成されて今日まで継承発展されて、部落差別解放のために私たち参議院の大先輩である松本治一郎先生を先頭にして今日まで人権闘争として闘って大きな成果を上げたことは、これも何回もお互いが理解できることだし、確認できると思います。  

深田肇

1994-10-26 第131回国会 衆議院 政治改革に関する調査特別委員会 第3号

私の大先輩松本治一郎先生は、これは我々の仲間の間でちょっと勝手なこと言うとると思われるかもしれませんけれどもね、君らは絶対に将来一対一選挙をすなよと。被差別部落部落を体に背負うとって一対一選挙はすなよ、こう言って戒められたということがあるんです。それは、いみじくも私は小選挙区の弊害というものをぴたりと言い当てておると思うんですね。

小森龍邦

1994-10-04 第131回国会 参議院 本会議 第2号

昭和二十年十月、日本社会党の結成に参画され、政治への第一歩をしるされるとともに、解放の父と言われた御尊父、初代参議院議長松本治一郎先生秘書としてともに部落解放運動に身をささげられました。常に日の当たらぬところに光を当てようとされるその真摯な魂の叫びは、差別をなくし基本的人権の確立を目指した世界のさまざまな運動にも大きな影響を与えたのです。  

村上正邦

1993-05-25 第126回国会 衆議院 予算委員会 第25号

このとき加藤さんは、私はそのとき松本治一郎先生秘書をしておったから傍聴に行っておった。それをちゃんと聞いておったのですよ。そして、こういうことですよ。  その衆議院の本会議で加藤勘十さんは、不況のもとで中小企業はどんどん倒れていく、そのために五、六人自殺が出てきた、どう思うかという、こういう質問ですよ。これに対して池田さんは何と答弁されたか。ここにちゃんとあります、議事録が。

楢崎弥之助

1993-02-10 第126回国会 参議院 本会議 第4号

松本先生は、本日は欠席されておられますが、初代参議院議長松本治一郎先生のおいに当たり、養子でもあられます。  先生は、これまで、周りから何度推されても、常任委員長や党の役職につくことを固辞されたと伺っております。その半生は、尊敬する治一郎先生の遺志である「反差別・反権力」の思想と行動を受け継いだ、一筋の政治行動をとってこられたのであります。  

斎藤十朗

1992-03-12 第123回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第2号

私、解放行政といいますかそういった問題を考えるときに、いつも解放運動の父と言われている松本治一郎さんのことを思い出すわけであります。御承知のように、同じ福岡の御出身でございました。  大臣、まずお尋ねいたしたいのは、福岡県というのは大変未解放部落といいますか被差別部落が多いというふうに認識をいたしております。

谷村啓介

1992-03-12 第123回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第2号

ただ、先生がたまたまお名前をお挙げになりましたが、私の郷土福岡県の出身政治家といたしましては、例えば保守では緒方竹虎先生等々非常に著名な方がいらっしゃいますが、革新側といたしましては松本治一郎先生郷土を代表する政界の巨魁であるというふうに私ども誇りに感じているのでございます。

山崎拓

1992-03-12 第123回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第2号

○谷村分科員 松本治一郎先生についてお触れになりましたけれども、私がお尋ねしておるのは、差別というものが現存をしておる、これはもう御承知のとおりでありますが、これから展開をいたします解放行政について大臣差別認識といいますか、差別とは何なんだということについて御見解を承りたいというのが実は主眼なんでございますが、その点、いかがでしょう。

谷村啓介

1991-04-09 第120回国会 参議院 内閣委員会 第5号

一九四六年に参議院の大先輩松本治一郎先生が組織された都落解放同盟というのがあるわけなんですが、いろんなことをお話し申し上げる時間はありませんから簡単に一つだけお話しします。言いたかったことはこういうことなんです。中央では全国大会があります。それから、埼玉県だと県がありますね。地域分会があるんです。町に全部小さな集落がありますから、そのたびごとにいろんな小さな集会がある。

深田肇

1991-03-13 第120回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第3号

どもの大先輩の元参議院議長松本治一郎この人が若いときに差別されて腹が立ってかなわぬから、ようし、ひとつ博多じゅうで一番よい着物を着てやろうか、よい帽子かぶってやろうかと思うてやったら、何だあれは、あんないい格好しておるけれどもあれは部落民だ、こういう難しい心の問題なんですよ。  それで、心の問題は難しいということを総務庁長官も言われ、小山審議官も言われた。

小森龍邦

1986-04-24 第104回国会 参議院 建設委員会 第11号

松永安立衛門福沢桃介、そうした大先輩が、池田さんやら松本治一郎先生やらいろいろ相談されて、そして両翁が西日本鉄道あるいはまた九州電力、西部瓦斯までつくられたという話を私は実は初めて聞きまして、先輩のそういう偉業に対して改めて認識をさせられまして、これは初めて私聞かせていただいてありがとうございました。  

江藤隆美

1986-02-17 第104回国会 衆議院 予算委員会 第10号

しかし、亡くなりました松本治一郎先生を初め水平社以来の伝統を継いでいる指導者たちは、私は入ったばかりですが、一緒にやったわけですけれども、そうではない、たとえ安保条約が大きな政治課題になっておっても、この部落差別の問題は政党政派だけの問題ではない、国民的な課題であるから、どういう政府であっても新しい憲法のもとでこの差別を解消するということはやらなければならないし、やらさなければならない、国民的な課題

大原亨

1981-03-31 第94回国会 参議院 予算委員会第一分科会 第3号

○国務大臣中山太郎君) この差別問題というものは、日本社会における長い歴史の中で相当長期にわたった、まことに残念なことでございますけれども、われわれの過去の社会に存在をし続けてきたと、それに対して松本治一郎先生を中心にされたいろいろないわゆる解放運動というものが行われてき、今日もなおこの差別撤廃のためにいろいろな方々が御苦労いただいておる。

中山太郎

1981-03-30 第94回国会 参議院 予算委員会第四分科会 第2号

しかも歴史的にながめていきますと、亡くなられました松本治一郎先生も、三十年代半ばには入られまして、そしていろいろと問題の解決に当たられた、こういう事実関係もございます。  そういう立場を踏まえまして、いま大臣は、地区指定がないと言う。いま地区指定がなければ、そこにおきますいわゆる同対事業としての推進は何もない、こういうことに相なりますね。私はこれは大変なことではないかと思う。  

坂倉藤吾

1981-02-28 第94回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号

また松本治一郎先生以下、日本部落解放闘争の多くの方々の御努力というものが、今日のいわゆる同和対策になって行政の中でもその地位を占めてきたと私はよく認識しております。  また、いまお話のございましたいわゆる同和の方との結婚式のお話も、先生お話のとおりだと思います。私は、法律で、この国民的な考え方というものが一挙に解決できるとは考えておりません、はっきり申し上げて。

中山太郎

1980-01-30 第91回国会 参議院 本会議 第4号

私の父松本治一郎は、炎のような八十年の生涯を「不可侵、不可被侵」の七文字を守り貫き通しました。私もまた「侵すべからず、侵されるべからず」を人間的信念とし、政治的信条に立って、一切の差別撤廃を目指す国際人権規約早期批准を求め続けてきましたが、昨年六月の批准、九月の発効を歓迎するとともに、さらにこの規約の完全な実施を、その精神が広く普及し現実のものとなることを期待するのです。

松本英一